

我が国に25か所ある世界遺産(2021年12月現在)。そのうち1つが「道の世界遺産」として、世界中の登山者や自然愛好家から注目を集めていることをご存知でしたか?
三重、奈良、そして和歌山の3県にまたがる「熊野古道」(正式名称は「紀伊山地の霊場と参詣道」)がそれ。
古代より「蘇りの地」として参拝者を集めてきた参詣道のうち計300kmにおよぶ部分が、スペインにあるもう1つの道の世界遺産「サンティアゴ·デ·コンポステーラの巡礼路」と並ぶ総長数百キロにも及ぶロングトレイルとして、2004年にユネスコの世界遺産として登録されました。
熊野古道が世界遺産として認められた理由。それは、歴史的価値の高い宗教施設の数々やそれらをとりまく大自然だけではありません。熊野では古代から現代に至るまで、神道、仏教、そして修験道という3つの異なる宗教がお互い争うことなく共存しています。2千年以上の長きに渡って宗教に起因する争いが絶えたことのない海外の人々から見て、熊野は「世界平和」を象徴する存在であり、この点こそが世界遺産登録時に高い評価を受けたのだそうです。
世界遺産への登録以降、官民協働で観光プロモーション活動を行う田辺市熊野ツーリズムビューローの尽力もあり、熊野古道には多くの外国人観光客が訪れるようになりました。
しかしそれは、新型コロナウィルスが世界を席巻するまでのこと。インバウンド需要が失われてのち、諸外国から熊野を訪れる人の数は激減し、現在も元に戻る気配はありません。
一方で、2021年10月以降、熊野を訪れる国内旅行者の数は回復基調にあります。しかし、現時点で熊野を訪れる国内旅行者のほとんどは著名な史跡のみを巡る旅を選ぶ傾向にあり、自分の足で古道を歩こうとする日本人はまだまだ少ないのが現状です。
前述の田辺市熊野ツーリズムビューローで代表理事を務める多田稔子さんは言います。「熊野古道のような参詣道は、歩く人がいて初めて成立する世界遺産だ」と。世界的パンデミックの収束がいつになるか見えない今、国内需要を喚起して古道を歩く日本人旅行者を増やすことは、熊野の観光業にとって急務だと言えます。
熊野古道を構成するルートのうち中核を成す「中辺路(なかへち)」。そして、この中辺路を擁する街が和歌山県田辺市です。新型コロナウィルスが世界中の観光地に打撃を与えた2020年。田辺市は、登山者向けGPSアプリなどを展開する株式会社ヤマップとともに「熊野REBORN PROJECT」という地域活性化プロジェクトをスタートさせています。
「熊野REBORN PROJECT」は、都市在住のYAMAPユーザーと田辺市をつなぎ、熊野の経済を復興させようという取り組みです。2021年に開催された第2期では林業にフォーカス。全国から選抜された12名のメンバーは、事前にオンラインで田辺の観光業と林業について学んだうえで古道歩きを含むフィールドワークに参加。その後も、熊野の経済復興に向けて地元の人々と交流を続けています。
このプロジェクトに社員の1人が参加したことをきっかけに、今回On Japanでは田辺市の西側にある滝尻王子から熊野本宮大社に至る中辺路ルートを歩く機会を得ました。
案内人は同プロジェクトでメンターを務める大内征さん(低山トラベラー・山旅文筆家)。およそ40キロの参詣道で、私たちはどんな歴史や自然に出会えるのでしょう。そして、コロナ禍という未曾有の危機に瀕している私たちが、古代から続く巡礼の道を歩くことの意味とは? 「Walk the Trail Guide」エピソード1として、3回シリーズで熊野古道·中辺路レポートをお送りします。
熊野古道の中で古代から特に多くの人が歩いたと言われているのが中辺路。今回私たちは、滝尻王子と熊野本宮大社を結ぶ約40kmのルートを2日間かけて歩きました。舗装路のほぼない山道でエスケープルートも少なく、所々に急な勾配もありますが、それが何kmも続くようなことはなく、適宜水分や休憩を取りながらマイペースで歩けば初心者の方でも十分に歩き切ることができるトレイルでした。
中辺路では、約500mおきに番号付き(0から75まで)の道しるべが設置されています。スタート地点からどのくらい歩いたのか。ゴールまで残りどのくらいなのかを簡単に把握でき、道迷いの防止にもなる、非常に便利な仕組みです。
また、中辺路を歩く人にとって心強い存在が「王子(おうじ)」と呼ばれる数キロごとに置かれた小さな神社。今より遥かに旅のリスクが大きかった時代、巡礼者たちの旅の安全を祈念するために設置されたと言われています。
現代人の私たちが「王子」と聞くと「王様や女王様の息子=王子様、プリンス」を連想しますが、熊野古道における王子は「熊野の神様の娘や息子たち=御子神(みこがみ)」のこと。王子の存在によって前述の道しるべ同様に道迷いも防止できますし、足休めをしたり、水分や行動食を摂る目安にもなります。
ときに心細くなる山中で王子に手を合わせると、不思議な安心感が得られるという心理的な効果も。また、王子の中には屋根付きの休憩所を併設していたり近くにバス停があるものもあり、緊急時の避難場所やエスケープルートの目印になってくれることもあるのです。
冒頭で、熊野古道には異なる宗教をまとめて受け入れる懐の深さがあったと書きました。しかし熊野の寛容さは宗教に関してだけではありません。古代より熊野では、他の聖地には参詣を許されない人々も受け入れてきたと言われています。例えば、近代以前には不浄とされる機会の多かった女性たちがそうです。つまり熊野は、1000年以上前からインクルージョン&ダイバーシティを実践してきた場所なのです。
熊野が古くから多様性を受け入れる土地であったことを表す有名なエピソードを紹介します。
平安中期の歌人、和泉式部が熊野本宮大社を目指して中辺路を歩いていた時、ゴールまで3キロあまりの伏拝王子(ふしおがみおうじ)で思いがけず月の障りとなってしまいました。これでは参拝は叶わないと諦め、彼女は彼方に見える熊野本宮大社の森に伏し拝みつつ以下の歌を詠みます。
晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて 月のさわりとなるぞ哀しき
するとその夜、式部の夢に熊野権現(ここでは阿弥陀如来の化身)が現れて以下の歌を返し、彼女は無事に熊野本宮大社へのお参りを果たしたといいます。
もろともに塵にまじはる神なれば 月のさわりもなにかくるしき
つまり熊野の神様は、和泉式部に「俺たちだってあなたと同じように穢れているのだから、気にせずにお参りしていらっしゃい」と言ったのです。実はこのエピソード、実話ではなく一遍上人の聖たちが熊野詣をPRするために作り出したフィクションだと言われています。
しかし、創作であってもこのストーリーは熊野の人たちのお気に入りのようで、今回の訪問中にも幾度か耳にする機会がありました。つまりそれは、熊野には今も昔も「もろともに塵にまじはる」の精神が息づいていることの証ではないでしょうか。
熊野古道·中辺路編(上)では、熊野が万人を受け入れる懐の深い場所であることと、初めて古道を歩く方に特にお奨めなのが中辺路であることを紹介しました。 次回からはいよいよ実際のルート紹介に移ります。次回、中辺路編(中)では、今回あるいは40キロにおよぶルートのおよそ5分の2にあたる、滝尻王子から近露王子までの16キロのトレイルを紹介します。