

プロのアスリートがトレーニングキャンプやオフシーズンに山地へ向かうのには理由があります。それは、標高が高いから。高地トレーニングが人の体にもたらすメリットは、幅広い研究でも実証済み。だからこそ、他と差をつけ上を行きたいランナーたちは、このトレーニング法をこぞって取り入れています。
山から下りてきた人が超人的な力や運動能力を発揮して皆を驚かせる、というような話は昔からあります。しかし、こうした高地とパフォーマンスの相関関係がはっきりと確認できたのは、1968年になってから。オリンピック・メキシコシティー大会でのことでした。
標高2240mと、世界で最も高い場所で開催されたメキシコシティー大会では、主に持久力を必要とするすべての長距離種目で完走タイムが大幅に遅くなりました。高地がパフォーマンスに与える影響は誰の目にも明らかでした。このことから、高地でトレーニングをすれば、低地に戻ったときにより良いパフォーマンスを発揮する体作りができる——つまり、同じ強度のトレーニングでも、場所を高地に変えるだけでアスリートに有利な効果があるのではないかという仮説が生まれたのです。
1500m以下の、いわゆる「通常」の標高よりも高い場所でトレーニングを行うときの違いは、大気中の酸素の量にあります。私たちが体に取り込む大気の2大構成要素は、窒素(約79%)と酸素(約21%)です。標高の高いところは「空気が薄い」と聞いたり(感じたり)したことがあるかもしれませんが、これは徐々に気圧が下がり、窒素よりも重い酸素の量が減るため。
酸素レベルが下がると、同じことをするのにもより多くの労力を要します。標高3,000mでランニングをした場合は、標高0mで同じことをするよりも25~30%近く多いエネルギーが必要になると言われています。ランナーにとって有益なのは、この体にかかる特別な負荷。体内の酸素を全身に運ぶ役割を担う赤血球が増加し、酸素運搬能力が向上したり、心肺機能の働きが活発化したりするなどのメリットがあるからです。そうして体は、低圧低酸素状態のもと、取り込まれた酸素を全身に効率よく運ぶように訓練されていきます。
メリットを感じるのは平地に戻ったとき。体が高地順化されているため、高地に比べ十分な酸素のある平地で息切れしづらくなり、パフォーマンスの向上が期待できるのです。高地トレーニングの効果は平地に戻ってから2週間ほど続くため、その間にいくつかのレースを走ると、高いパフォーマンスが期待できます。高地トレーニングのもう一つの利点は、大会自体が標高の高い場所で開催される場合にあります。レースの開催地となる場所でトレーニングをすると、レース当日に向けて時間をかけて体を順応させ、コンディションを整えることができます。
もちろん、メリットと同時にリスクもあります。高地でトレーニングをする人の中には、特に平地から高地へ急に移動した場合、頭痛や息切れに襲われる人がいます。そのため、高地トレーニングでは徐々に体を標高に慣らしていき、数日経ってから本格的にトレーニングを始めるのがベストです。また、赤血球が過剰に増えると「多血(赤血球増加症)」となり、高地トレーニングの効果が半減することもあります。そのため、長いあいだ高地に向かうときは、あらかじめ医師に相談することが大切です。
高地トレーニングで最大の効果を得るには、標高2,500m程度の場所で3~6週間、トレーニング合宿を行います。高地での滞在期間が長ければ長いほど、より高い効果が期待できます。ここまでの標高が得られる場所は山くらいなので、ほとんどの場合はトレイルコースでトレーニングをすることになります。そのため、トレイルに適した装備を忘れないようにしましょう。トレイルランニングの初心者であれば、トレイルランニングを始めるためのガイドに目を通したり、スイスアルプスが生んだOnのトレイルランニングシューズCloudventureを持っていくと安心です。そして高地トレーニングをする場所に到着し、場所に合ったウェアやシューズを身に着けたら、いきなりいつもと同じランニングルーティンを行うのではなく、徐々にそこに近づけていくことをおすすめします。高地は平地よりも呼吸器官に負担がかかるため、最初はいつもと同じようには走れません。
高地トレーニングは、低酸素状態での呼吸に慣れるため、ゆっくりと始めることを忘れないでください。また、少なくとも数週間は、平地と同じレベルの体力は無いと思うようにしましょう。
近くに山がない人は、平地で高地トレーニングをシミュレーションできる施設の利用を考えても良いかもしれません。通常、ジムの中の小さな部屋にトレッドミルやフィットネスバイクが数台置いてあり、酸素レベルを手動で変えることで、異なる標高をシュミレーションできるようになっています。「高気圧酸素ルーム」も標高シミュレーションができるものの一つですが、これは回復に役立つとされる高地の気圧を再現するもので、必ずしも空気中の酸素量を変えることに重点を置いていません。そのため、高地でパフォーマンスの向上を目指すランナー向けとは言えません。
高地トレーニングの環境を作り出すもう一つの方法は、ランニングマスクの着用です。これなら、どのような場所でもトレーニングが可能です。マスクをつけて走るなんてアメリカンコミックスの悪役みたいですが、呼吸で取り込める空気の量を制限し、呼吸器官の働きを活性化させるシンプルな方法です。マスクを使って初めてトレーニングをするときの注意点は、ゆっくりと始めること。慣れないうちはすぐにめまいに襲われたりするため、慣れるまで最初の数回は誰かと一緒にトレーニングをするのがベストです!