

エチオピア生まれの米国人選手が五輪マラソン代表選考レースに初トライ。トレーニングのし過ぎで失敗することなく、賢く努力することの大切さを語ります。
文:Sheridan Wilbur 写真:Yohannes Mehari
変化や不確実性は決して避けるべきものではなく、むしろ上達のために受け入れるべきこと――テショメ・メコネンはそう考えています。このエチオピア生まれのエリートマラソン選手は、ここ数年間に米国市民権を取得し、スポンサーを変え、新しいトレーニング環境の構築やコーチとの出会いを経験してきました。
最近新たにOnと契約した28歳のメコネンは、このインタビュー当時、2024年2月3日にフロリダ州オーランドで開かれるパリ五輪マラソン代表選考レースへの初出場を控えていました。レースに出場する男子選手の中で13位のタイムを持つ彼は、昨年秋のベルリンマラソンでは2時間10分16秒を記録。しかも32km地点までは2時間4分台のペースを維持していました。今回の代表選考レースでは高温多湿のフロリダの地で42.195kmをフルで走らなければなりませんが、ハーフマラソンの最速タイムの持ち主として大きな可能性を秘めている彼。好調に当日を迎え、戦略的にレースを進められたら、五輪への切符を手にするのはもちろん、レース優勝も夢ではありません。
ベルリン大会以降、徹底したハードトレーニングを積み重ねている彼は、量よりも質、一人でやるよりもチームワークを重視したアプローチをとっています。スタートラインに立つ日に向けて、トレーニングのあらゆる要素を調整し、トップを狙う伏兵として戦いに挑みます。まだ知名度の低いこの米国人トップマラソンランナーに、じっくりインタビューしました。
メコネンさんはこれまで、さまざまな環境でトレーニングしてきましたね。以前はニューヨーク市やコロラド州コロラドスプリングスに住み、現在はエチオピアのアディスアベバでトレーニングしています。それぞれのロケーションは、トレーニングの面でどんな違いがありますか?
メコネン:ニューヨークはトレーニングがとても難しい場所でしたね。土地の標高が低いうえ、たいてい湿度が高く、いい結果が出せませんでした。それで、コロラドスプリングスに移ったのですが、そこも難しかった。しっかりとしたチームも、直接指導してくれる人もいませんでしたから。標高も、エチオピアほどの高地ではなかったので問題でした。そしてなんといっても食べ物です。エチオピアでは食べ物は有機栽培されているので、断然美味しいんです。また、個人的に指導してもらえるコーチが付いたことも、私にとってとても重要でした。ワークアウトやトレーニングプログラムをこなした後、すぐにフィードバックがもらえますから。「OK、君の身体に必要なのはこれこれだ」、「身体は今、こんな状態だ」、「もっとジムに行かないと」、といったアドバイスをね。 エチオピアに移ったのは、こうしたことが大きな理由です。
エチオピアには長い内戦の歴史があります。それをふまえて、この国でのトレーニングについてどう感じていますか?たとえば、以前よりも安全になったと感じますか?[注:2022年11月2日、ティグライ人民解放戦線(TPLF)とエチオピア政府が停戦に合意。数千人の命を奪い、多くの避難民を出した2年間の紛争に終止符を打った。]
メコネン:鋭い質問ですね。以前とは違って、ずっとよくなりましたよ。とはいえ今でも、ここに来るときは必ず注意を払っています。どこもかしこも攻撃にさらされていたことを、つい忘れてしまいますが。米国にいると現地の情報は入りにくいです。[エチオピア政府はティグライの通信、銀行、電気へのアクセスを遮断し、外部との接触はほぼ不可能になった。]今もまだ完全に安全とは言えないけれども、改善はしています。私は走りに出ても別のエリアには行かないし、トレーニングが終われば、すぐに家に帰るようにしています。
エチオピアのアディスアベバの気候は、フロリダ州オーランド(2024年米国五輪マラソン代表選考レースの開催地)に向けたコンディション調整に役立っていますか?
メコネン:ええ、いい感じです。今のコーチは、この大会が標高が低くて気温の高いオーランドで開かれることを意識して、的確なアドバイスをくれます。私たちはレース当日の疑似環境を作って、そのコンディションでタイムトライアルをしていますよ。
奥様のフィヴン・アレムさんとの関係についてお尋ねします。特に、プライベートとビジネスの関係をどう両立させているのか、それがメコネンさんの躍進にどう役立っているのかを教えてください。
メコネン:私のマネージャーでもある妻は大変理解があり、頭も切れます。彼女自身、ランニング業界にいるので私のことをよく分かっていますし、プロアスリートになるとはどういうことなのか理解しています。何か困難なことがあるといつもこう言われるんですよ。「手の内を見せてはダメ。努力すること。そして決してあきらめないこと」。 私たちは一緒に頑張っていますよ。互いを頼りにしながら前進しようとしています。これまでにいろいろな困難がありましたし、簡単なことばかりじゃないけれど、これは長期戦ですからね。彼女は必要なアドバイスを的確にしてくれる、愛情深い妻です。だから、あらゆることに一緒に取り組んでいます。
2023年のベルリンマラソンでは、2時間10分16秒を記録しましたね。しかもレースの大半は2時間4分のペースでした。あれ以来、レースの戦略に何か調整は加えましたか?どんなふうにトレーニングをやっているのでしょうか?
メコネン:ベルリンは、がむしゃらにトレーニングして臨んだので、スタートラインに立った時は自信満々でした。ところがレース中に気づいたんです。コロラドスプリングスでトレーニングをやり過ぎたに違いないと。
あそこでは周りに誰もいなくて、走った距離もスピードも、あらゆるものがハイレベルでしたが、負荷をかけ過ぎたんだと思います。2時間5分とか2時間4分で当然フィニッシュできるだろうと、自分を過信していましたね。「脇目も振らずに練習してきたんだから、いい結果が出るだろう。2時間5分は出せるはず」と思い込んでいました。
あのレースではペースメーカーもいませんでしたが、 もっと的を絞ってペースをコントロールしていたら、前半を1時間3分、後半を1時間5分で走っても、2時間8分でフィニッシュできると分かったはず。それと、20kmを過ぎてからは何も飲まなかったのも問題でした。いくつかのステーションで給水し損ねたんです。ボランティアから水を受け取ろうと考えなかったんですよね。それがレースに影響したかもしれません。
ベルリンの教訓はたくさんあります。今回のトライアルは、もっと知識を固めて、マインドセットも改善して臨みます。これまでは一緒に練習するグループもいませんでしたが、今はアディスアベバで他の人と一緒ですしね。40kmや30kmの距離を一人で走らなくていいんです。私たちは交代でリードしたり、互いのペースメーカーになったりしています。だから、一生懸命にやってはいますが、自分一人であのペースでずっと走らなきゃいけないという圧倒的な心理的負担を感じることはありません。リカバリーも順調だし、グループでやることの効果は大きい。これこそまさに、私が必要としていたものです。
メコネンさんは次のスポンサー企業を探していた時、ブランドの選択でどのような点を考慮しましたか?また重視したのはどんなことですか?
メコネン:単にブランドを代表するアスリートになるのではなく、そのブランドとつながりを持ちたいと考えました。Onと契約したのは、自由がたくさんあると感じたからです。それと、ケヴィン・クァドラッツィ[Onのグローバルアスリート戦略&パートナーシップ - パフォーマンスランニング責任者]と緊密な関係を築けたことにも満足しています。私の目標は何か、シューズはどうかと聞いてくれますし、そんなふうに親しくコミュニケーションしながら貴重なフィードバックももらえて、とても嬉しく思っています。製品も素晴らしいけれど、それにとどまらず、Onのビジョンそのものを信頼していますね。
代表選考レースを前に、現在、マラソンタイムは13位、ハーフマラソンでは首位に立っています。 初の選考レースに臨む心境はいかがですか?
メコネン:自分よりも速い記録をもつ米国人は確かにいます。けれど私は2時間10分のタイムしか出せなかった原因について、徹底的に検証してきました。ベルリンの時は負荷をかけ過ぎていた。どんな時でも猛練習は好きですが、現在は良いコーチと、良いチームがいます。栄養管理も前よりできているし、全体的に前よりも好調です。だから不安はありません。自分の身体とトレーニングの心構えを熟知していますから、タイム短縮を狙う準備はできていますよ。以前よりもずっと自信がついたので、選考レースでは絶好のパフォーマンスを発揮し、本当にいい走りができそうです。自分が米国代表としてオリンピックに出る姿が想像できますから。
今年のパリ大会に米国代表として出場することは、ご自身にとってどんな意味がありますか?
メコネン:米国代表になれればとても嬉しいですね。生まれはエチオピアでも、自分の人生を切り開いてきたのは米国ですから。家庭を築くこともできたし。この国は、私が私である自由、今の私になるための自由をたくさん与えてくれました。米国を代表するだけでなく、メダルを取ること。それが今の目標です。