

マラソンレースは似たり寄ったりのものが多いけれど、大自然の中のコースを何度も周回する総距離100マイル(161km)のバークレーマラソンズは特別です。完走できるのは世界で最もタフなトレイルアスリートだけ。その栄誉を、カレル・サッベが見事につかみました。
文:Micah Ling 写真:David Miller
「確実に言えるのは、バークレーマラソンズは最もハードなレースだということ」――Onアスリートのベルギー人ウルトラトレイルランナー、カレル・サッベは断言する。
2023年の大会で完走できたのはわずか3人。サッベはそのうちの1人となった。1986年に始まったこの伝説的レースは、深い山奥の標識もないコースを周回しながら競う。60時間のカットオフタイム内に完走するのは不可能に近く、長いレース史上、それを実現できたのはサッベがようやく17人目だ。
ランナーたちが畏怖し、同時に憧れを抱く米国のウルトラトレイルレース、バークレーマラソンズは、テネシー州のフローズン・ヘッド州立公園を舞台に毎年春に開催される。最初の頃は50マイルほどのレースだったが、1989年に合計100マイルに引き延ばされた。コースは毎年少しずつ違う。20マイルを5周するのは同じだが、実際には想定以上走ることになるのが常だ。
「バークレーマラソンズのストーリーは有名でね」とサッベは言う。「だから皆、夢中になるんですよ」。 バークレーマラソンズは毎回、出場者のほとんどが途中棄権する過酷なレースだが、それにもかかわらず、ベテランのトレイルアスリートも熱烈なファンも等しく魅了する不思議な力がある。
上り下りが激しいコースの累積標高は実に16,500m。天候は目まぐるしく変化し、泥、雨、霧、氷点下の気温と、何でもありの悪条件が次々と襲ってくる。しかしそれがまた、このレースの特異な魅力でもある。
バークレーマラソンズを始めたゲイリー・カントレル(通称ラザロー・レイク)は、ウルトラランニング界の有名人だ。ウルトラマラソンが陸上競技のメジャーな種目になる前から、彼は広大な大自然の中で自ら決めたルートを、ただ楽しむために走っていた。そして、カール・ヘン(通称ロー・ドッグ)とチームを組み、2人でバークレーマラソンズのルートを構築したのだが、きっかけとなったのは1977年のある事件だった。公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニアを暗殺して有罪となったジェームズ・アール・レイが、服役中のブラッシーマウンテン州立刑務所から脱走したのである。
レイは、脱走から54時間後に山奥で再逮捕されたが、その場所は刑務所からわずか12マイル(約19km)しか離れていなかった。この脱走劇を知ったカントレルは、時間的には少なくとも100マイルは逃げられたはずだと不思議に思い、考えをめぐらせる。そして、追手をかわそうと必死で逃げる脱獄囚ですら手つかずの大自然の中では思うように走れない、という状況にヒントを得て、新しいレースを発案したのだ。今日でも、バークレーマラソンズのコースは、既に閉鎖された刑務所の敷地内もしくはその付近を通過するように設定されている。
バークレーマラソンズの周回コースを普通と同じ意味での ”コース” と呼ぶには、大いなる想像力がいるだろう。ループ状のそれに標識はなく、そもそも踏み慣らされた山道ですらない。途中にエイドステーションもなければ、電子機器やGPSを携行して走ってはならないルールだ。
出場者数はわずか35名に限られており、エントリーを手にすること自体が至難の業である。参加を希望するランナーは、自分が走る許可をもらうにふさわしいと思う理由について作文を書き、1ドル60セントの申請料とともに提出しなければならない。他にも、主催者カントレルがその年に必要だと思うものについて、多少の費用がかかる。たとえば、一枚のフランネルのシャツだったり、新しいソックスだったりだ。
そんなことにも象徴されるように、このレースは予測不可能なことだらけであり、だからこそ30年近くに及ぶ歴史の中で、この100マイルレースを走破できたのはサッベがようやく17人目なのだ。
「レース中はいろいろなことを考えますね。どうすれば完走できるかって」とサッベは言う。「本当にユニークなレースです。大勢の人をインスパイアする、挑戦的で感動的なストーリーが生まれるんですよ」
サッベは2023年、バークレーマラソンズならではの二重の栄誉を手にした。60時間の制限時間をオーバーせず、それに最も接近してフィニッシュしたという「最遅完走記録」を出したからだ。彼のタイムは59時間53分33秒だった。
サッベがバークレーマラソンズに挑戦しようと思ったのは好奇心からである。2016年にPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)で最速記録を出し、2023年に再びそれを更新。アパラチアン・トレイルでも2018年に最速記録を樹立していた彼は、次の挑戦は何か今までと違うものにしようと決めていた。「自分が求めているタイプのアドベンチャーに自然にフィットするものがいいと思ってね」
「バークレーは、FKTに長めに挑戦できるのが嬉しい反面、制限時間は60時間と凝縮されています。似たようなタイプのレースはいろいろあるけれど、この制限時間の壁を克服しなければならないのが特徴なんですよ。でもFKTの実績があれば、バークレーマラソンズでもけっこういけるだろうと思いましたね」
出場申請が許可されたランナーには、主催者カントレルから、お祝いではなくお悔みの言葉が送られる。「PCTでFKTに挑戦した経験のある人たちが私をサポートしてくれました。作文や申請手続きの手助けをしてくれたのです。本当に感謝していますよ」。 カントレルからの ”弔辞” がサッベの元に届いたのは、2023年のレース当日からわずか6週間前のことだった。
地元では、バークレーに初出場するランナーのことを「バージン」と呼んでいる。 そして、もしも初回の出場で何らかの成果を出せれば、再挑戦の許可も得やすい。サッベは、制限時間内の完走者が出なかった2019年と2022年に、最後まで走り抜いた「ラストマン・スタンディング」の記録を出していたのが幸いし、3度目の出場を認められた。
サッベにとっては何よりもコースの雰囲気が自分に合っていた。「クルーの数は制限されているし、メディアも少ない。コースに出てしまえば、そこには誰もいない。興味深くてスーパーナイスな人たちだけがいる、実に心地よい雰囲気なんですよ。スタートから快適な気分で寛げますしね」
エントリーを手にするのに確実な方法があるわけではないが、FKTの実績や難度の高い長距離ウルトラレースの出場経験があれば役に立つ。「主催者のゲイリーは常に完走できそうなランナーを探しています。完走者の多くはPCTやコロラドトレイルの記録保持者だということを彼は知っているんです」とサッベ。「私の経歴を見て完走できそうだと思ったんでしょうね。彼とは最初からいい関係を築いていますよ」
レースのスタートが一日24時間のいつになるかは、最後まで分からない。ランナーたちはスタート付近のキャンプ地に到着すると、そこでひたすら待機する。カントレルがホラ貝を吹けば、それが合図だ。1時間後にランナーたちはスタートラインに並ぶ。そして、カントレルがバークレー式スタートガンよろしく儀式めかしてタバコに火をつけたら、レースの幕開けだ。ホラ貝が鳴り響くのは、午前2時のこともあれば正午のこともある。
2023年の大会では、午前10時がレースの開始時刻となった。「前夜はよく眠れませんでしたね」とサッベは振り返る。「レースが終了する頃は、実質70時間以上ぶっ続けで起きていましたよ」
レースの途中で苦痛のどん底にはまり、死にそうな思いをしながら、それでもなんとか効率的に先へ進もうとしている時、サッベは精神力を振り絞って這い上がる。
「真夜中になり、もう8時間も闇の中を走っていると、不快に思うことはありますが、それは恐怖ではないですね。頭が冴えわたってる感じ。フリークライマーと似ているかもしれません。危険なことをやっているけど気持ちは集中していて、悪いことは起きないと確信しているような。それと同じ気分。大丈夫、問題が起きるはずはない、ってね」
ただでさえ過酷な山奥のルートに不快なコンディションと睡眠不足が加われば、それなりに奇妙なことも起こり得る。けれどサッベは、仮眠を取るにしても一度に数分程度で、フルにリラックスできていればまったく眠らない。「キャンプに戻ってきても寝ませんね。キャンプは快適すぎて、時間の無駄になるから。それに、キャンプに戻ると、やっともう一周終わったという興奮状態になるので、気を落ち着けて眠りに入るのに時間がかかるんですよ」。 彼はコース途上で5分ほど背中を丸めて休み、アウトドアの自然を感じながら覚醒するのを好む。
2023年のレースでは、最初の3周は計画通りにいった。「かなりうまくいってましたが、バークレーマラソンズはアクシデントが付き物でね」。 後半、脱水症状に見舞われ、さらには凍った川に落ちてしまった。「このレースでは簡単に手に入るものなんてありません。なんとか自分を叱咤激励して前に進みました。前回までの経験のおかげで、限界まで頑張ろうというモチベーションもやる気も十分ありましたからね」
「最後の5周目は、いつも必ず厄介なことが起きる」と言うサッベ。「もう長いこと寝ていないし、山の中で完全に一人きり。最終周回でもまだ複数の選手が残っている場合は、お互いに助け合ったりしないように別々の方向に走らされるんです。いろんなことがすごく紛らわしくなってくるので、正直、大きな問題もなくゴールできたのは運が良かったと思いますね」
3度目のトライに臨んだサッベは、「これっきり」、つまりバークレーに挑むのはこれが最後という心構えでいた。「二度失敗したけれど、あの経験から得たものは大きかった。今回のレースは、残り時間6分ちょっとで辛うじて完走できました」と彼は言う。「バークレーは、最初の出場時に期待していた以上のものを与えてくれました。17番目の完走者になって幕を閉じることができて最高の気分です。これ以上やりたいとは思いませんね」
バークレーマラソンズからわずか2か月半後、サッベは2650マイル(4265km)のPCT最速記録を再び更新。46日12時間50分のタイムを樹立した。
「2023年は本当にビッグイヤーだった」という彼。「PCTとFKTの両方で成果を出すために、とことん努力しました。最速記録を出して、バークレーの完走も実現できたので、2024年はレースは休みます」
とはいえ、トレイルシューズを手放すどころか、早くも2025年を見据えているサッベ。「復帰してから最初に挑む大きなプロジェクトは、2000マイルを超えるニュージーランドの全長を走ること。素晴らしいレースになりそうですよ」