

私たちは、体を動かせば物の見方が変わり、クリエイティブになれるということを知っています。でも、それは具体的にどういうメカニズムなのでしょうか。運動が認知能力に及ぼす驚くべき効果について、科学的見地から詳しくご紹介します。
By Zoe Cormier
キース・エイブラハムさんは元英国空挺隊員。エリート部隊であるパラシュート連隊に9年間従事し、イラクやアフガニスタンでの戦闘経験もあります。そんなエイブラハムさんがある驚きの体験をしたのは、2002年の軍事訓練のとき。所属先のパラシュート連隊に課せられたのは、およそ54kgの荷物を担いで10キロ以上続く急坂を登る持久走でした。それは一般人にとってはまるで拷問のようであり、苦痛そのもの。成し遂げることなど不可能と言えるほどの訓練でした。
ところが、その訓練がエイブラハムさんの精神に不思議な作用をもたらしました。意識が信じられないほどクリアになり、フローの状態に達したのです。現在は退役軍人に支援やセラピーを提供するチャリティ団体「Heroic Hearts」を運営するエイブラハムさんは次のように言います。
エイブラハムさんは子供の頃から、ラグビー、サッカー、スキーなど、数多くのスポーツをやってきました。しかし意外なことに、戦闘準備に加わるようになって初めて、心に安らぎを感じるようになったなったそうです。
「子供の頃は、スポーツはフローに達する手段ではなく、ただエネルギーを発散するためのものでした。当時は理解できませんでしたが、今ならよく分かります。耐久トレーニングは自分の心につながる方法なんです。ハードな運動は、単に体力を発散させるためのものではなく、『喜び』を得られる手段ということが次第に分かってきました」
エイブラハムさんの話には大いに納得できます。かくいう私も子供の時からいろいろなスポーツを経験してきた一人。特に夢中になったのが野球でした。投球がうまくいったり、ホームランを打ったりすれば大いに興奮したものです。けれど10代後半になると、進学を目指すほかの人たちと同様、スポーツから離れていきました。スポーツに時間を割く余裕はなかったし、勉強に集中する必要があったからです。
しかしその20年後、ある出来事をきっかけに持久系スポーツを中心とする運動のパワーを改めて実感することになりました。住んでいたアパートがほぼ全焼してしまい、私は焼け出されてしまったのです。住む家のない状態が2ヶ月間続きました。ストレスで精神をやられた私は鬱状態になり、本来の自分ではなくなりました。火災そのものは過去の出来事となったのに、心のスイッチがすべて鬱の方向に入ってしまい、鬱状態から抜け出せなくなったのです。絶えず疲労感に襲われ、ものを書くのも難しくなり、仕事もお金も行き詰って、まったくひどい状態に陥りました。
そこで私は、鬱に良いと言われることをやってみました。心と体を元気にするのに一番いいと言われるフィットネスジムに、初めて行ってみることにしたのです。初めて触るフィットネスバイクやクロストレーナーで汗を流しながら、2ヶ月分のストレスや不眠の疲れを発散させました。
そしてこの時になってようやく、体を動かせば心も動き出すことに改めて気づいたのです。ワークアウトの後はいつも緊張感がほどけて気分が上がっただけでなく、思考がクリアになり、賢くなった気がしました。例えば、電話番号や道順をラクに覚えられたし、退屈な書類仕事や事務作業も難なくこなせました。短時間に多くの新聞に目を通せるようになり、仕事の面でも、かなりうまくいきました。それ以来、執筆中の原稿について考える時は30分ほど有酸素運動をするようにしています。机を離れて自分の心臓の鼓動と息遣いだけを聞いていると、新しいアイデアや記事の書き出しが簡単に頭に浮かぶのです。
私は運動が心にもたらす「魔法」について、本来なら分かっていなくてはならなかったんだと思います。ライターになる前はスポーツをよくしていたのですから。しかし、あの火事の経験以来、たとえ気分が乗らなくてもジムにはいつも通っています。やる気が出ないときは、「これは体のためというよりも、頭のためだ」と自分に言い聞かせています。
ターター博士は、「運動が体に及ぼす効果の正体を理解すること」を目標に立ち上げられた学際的なプロジェクト「Society for Neurosports」の共同設立者。プロジェクトでは、「なぜ軽い運動で頭が冴え、自信が持て、気分が良くなるのか」という疑問を解明すべく、神経科学者と運動科学者が共同研究しています。
運動後の充実感は「ランナーズ・ハイ」や「エンドルフィン・ラッシュ」などと呼ばれますが、ターター博士が言うように、運動の効果はそれだけではありません。
「運動は、鬱の予防、認知機能の改善、ストレスの減少、不安の緩和、さらには認知症予防の最善策です。それは誰にとっても同じで、プロのアメリカンフットボール選手でも、一般人でも変わりません。運動の効能をボトルに詰めて売ることができれば、皆こぞって買いたくなるでしょうね」
運動が脳に及ぼす効果はまさにターター博士の言う通り。
心拍数が早くなると、すぐに脳にたくさんの血液が流れ込みます。ごく軽いウォーキングでも、足の動脈と静脈に圧迫が加わることで血流が15%増加します¹。そして血流が増えれば、幸福ホルモンや神経伝達物質などの体内化学物質も増えます。これらの物質は脳細胞間の情報伝達を担うメッセンジャーであり、脳細胞間のコミュニケーションを促し、脳細胞が最適に機能するよう働きかけます。
これらの物質を耳にしたことがある人も多いはず。例えばエンドルフィンは多幸感をもたらすことで知られています。エンドカンナビノイドは生体内の「鎮痛剤」。ドーパミンは中毒性のある快楽物質で、薬物やアルコールの摂取、ギャンブルなどの依存行為で放出されます。アドレナリンは、攻撃・逃避反応を司るストレスホルモン。これが分泌されることで人は攻撃態勢に入ります。そして忘れてはならないのが抗炎症性サイトカイン。鬱病の主な原因として注目を浴び始めた全身性炎症を抑制する働きをします²。
急に脳に流れ込んだ血液は、前頭皮質に偏って流れていきます。前頭皮質は脳全体の「CEO」あるいは「指揮統制センター」の役割を果たし、脳の中でも特に後期に進化した部位です。一般的に高度な論理的能力や認知機能に関わっているとされます。数々の研究が示す通り³¯¹²、好影響を及ぼす神経化学物質とともに血液が前頭皮質に送り込まれると、あらゆる認知能力や知性が直ちに改善します。記憶力、空間認識能力、問題解決力、情報処理速度、意識のフォーカス、集中力、水平思考、創造力などなど、いずれもアップするのです。
気分が高揚して、脳の情報処理能力が高まれば、不安が和らぎ、困難から立ち直る精神力も強くなります。これは運動がもたらすもう一つの不思議な効用といえるでしょう。ターター博士によれば、「運動はネガティブな情報から脳を守るための予防注射のようなもの」なのです。
言い換えれば、「運動をすることですべての神経細胞が活発になり、今日やりたいことがやれる状態になれます」。こう指摘するのは、ハーバード・メディカル・スクールの精神医学臨床准教授で、11冊の著書と60超の査読付き論文を発表してきたジョン・レイティ博士。運動が認知機能に及ぼす効果を注目する神経科学者がほとんどいなかった1990年代、この研究に先鞭をつけ、現在はこの分野の権威として高い評価を得ている人物です。
日常的な運動が認知機能の向上や認知症のリスク低減など、長期的なメリットをもたらすことは明らかです。しかし、それ以上に大切なのが、運動を「その日のためにするもの」と考えることだとレイティ博士は言います。
ドーパミン、エンドルフィン、アドレナリン、サイトカイン――これらの生化学物質が複雑に絡み合って、脳に重大な影響を与えます。
脳は、重さで言えば体全体の2%でしかないのに、エネルギーの消費量は20%に上ります。それだけ過大なエネルギーを消費するのには、もちろん理由があります。鍵となるのは、ウクライナ系米国人の伝説的科学者、セオドシウス・ドブジャンスキーが1973年に残した、「生物学は進化の観点から見なければ意味がない」という名言。
レイティ博士はこう説明します。「化石記録から分かるのですが、人類が狩猟採集を行うようになり、自らの行動をたどる必要が生じた結果、前頭皮質が発達し、新たな神経細胞が加わりました。これにより、人類はより利口に、より戦略的になったため、集中力を向上させる必要が出てきたわけです」
まったくその通りです。肉や食べられる植物を求めて広範な土地を歩き回った人類は、霊長類の祖先たちよりもはるかに多くのことを記憶しなければなりませんでした。どの植物が食べられ、どれに毒があるか。それはどこで採取できるのか。熟して食べられるようになるのはいつか、避けた方がいいのはいつか。
これに狩猟活動も加わって、獲物の動きを追跡して予測したり、知恵を使って獲物を捕まえたりする能力が必要となりました。このように考えると、人間は体を動かすことで脳を大きく発達させたのであり、その逆ではないということがよく分かります。
これまでの通説では、人類はまず大きな脳を手にし、それから身体能力を発達させたとされてきました。しかし最近の研究では、たくさん動くようになったからこそ脳が大きくなったことが明らかになってきており、従来の説が根底から覆されています。つまり、現在の私たちが思考力を発達させてきたのは、私たちが元々「よく運動するサル」だったことに他ならないのです。
ターター博士はホヤなどの尾索動物を例に挙げます。尾索動物は海中を漂っている間は原始的な脳を持っていますが、いったん岩に張り付いて底生化すると、その大事な脳も体内に吸収・消化されてしまいます。エネルギーを大量に消費する脳など、もはや不要になるからです。
人間が進化の過程でホヤと分かれたのは数億年前だとされますが、遺伝子の80%はホヤと共有しています。したがって当然ながら、運動不足による脳の萎縮は人間にも起こるのです。権威ある学術誌『PLOS One』で2018年、『中高年者における座位行動と内側側頭葉の厚さの減少との関連性』¹³という研究論文が発表されました。題名は当たり障りのないものですが、論文では脳の中でも記憶の形成と維持を司る海馬や扁桃体を含む部位の萎縮と、運動不足に相関性があることが明らかにされています。
その意味するところを、私たちは皆、真剣に考えるべきでしょう。
「大半の人が体の健康と思考の鋭さとの関係を理解していないことには、いまだ驚きです」。そう語るレイティ博士は、インターネットの普及とデスクワーク中心の現代のライフスタイルに原因があると指摘します。「信じられない話ですが、私たちは体に必要なことを無視してきたのです。実際に私たちは、身体のニーズを切り捨てるよう教えられてきたといっても過言ではありません」
ニューヨーク在住の運動生理学者、スー・ヒッツマン氏ははっきりとこう指摘します。
けれど悲観することはありません。運動不足の悪影響を減らすには、毎日適度な運動をすればいいと、軍事科学者で『Meathead: Unraveling the Athletic Brain』の著書もあるアリソン・ブレイガー博士は言います。
「一日に45分~1時間程度の運動をするだけで、あらゆる面で健康が促進されます」
「生物学でよく用いられているものに、用量反応曲線があります。運動量が少な過ぎれば体に害となりますが、逆に多過ぎても害になるのです。適度に健全なバランスを保つことが、脳の健康にとって重要です」
体を動かすことのメリットは、運動中やその直後に感じられますが、長期的にも蓄積されていきます。継続は力なり、とよく言われますが、確かに継続すれば効果は上がるのです。毎日の運動が脳を柔軟で若々しく、健康に保つということは、長期的記憶力や情報処理速度、問題解決力などの人間の認知に関するあらゆる指標において明らかになっています。
ここでも、神経伝達物質やホルモンなどの生化学物質、つまり精神活動のメッセンジャーが重要な役割を果たしています。ヒト成長ホルモン(HGH)は、思春期の成長には不可欠で、30代に入ると徐々に減少していきますが、日々の運動によって分泌が促進されます。これにより、若さが保てるのです。また、オステオカルシンも同様です。これは骨を丈夫にするホルモンで、年齢を重ねて事故や転倒のリスクが増えるに従い、特に重要となります。「運動ホルモン」として知られるイリシンも、日常的に体を動かせば分泌量が増えます。最近発見されたばかりのイリシンの効能は、まだすべては解明されていません。
最も研究されている神経伝達物質は、脳の解剖学的構造と機能に対して目に見える変化をもたらすことが繰り返し実証されています。つまり、脳由来神経栄養因子(BDNF)が新しい脳細胞の形成(神経発生)や脳細胞間の新しい結合の形成(シナプス形成)を促進するのです。BDNFはいわば脳の肥料であり、レイティ博士の言葉を借りれば「心の成長を促す栄養剤」なのです。
以前は思春期を過ぎれば新しい脳細胞は形成されないと言われていましたが、それは事実に反します。「私が脳について知っている素晴らしいことを一つ挙げるなら、それは脳がいかに柔軟かということです。運動を習慣にすれば、新しい脳細胞がどんどん作られます」(ヒッツマン氏)
逆に、習慣的に運動していないと、新しい脳細胞が生成されないだけでなく、アルツハイマー病やパーキンソン病など、神経変性症に罹るリスクも高まります。生物学では、臓器や遺伝子などの機能を理解するには、それをシステム(遺伝子組み換えマウスなど)から取り除いたらどうなるかを見る必要がありますが、これは運動についても言えます。体を毎日動かすことで進化してきた脳は、運動をしなければ不調に陥るのです。
現在、アルツハイマー病を患う人は世界で5,700万人を超え¹⁴、2050年には1億6,000万人以上に達すると予測されています。2011年の画期的な研究では、アルツハイマー病患者の13%は座って過ごす時間が長いことがその発症の原因と推測されました。一方、着座時間を25%減らすだけで、アルツハイマー病の発症件数は最大100万件減らせたとしています¹⁵。
要するに、座ることは体に悪いのです。
クラマー教授の発言には重みがあります。なぜなら教授は今から四半世紀ほど前の1999年に、運動が認知機能に及ぼす驚異的効果に関して、世界的な科学雑誌『ネイチャー』¹⁶に先駆的な論文を発表した人物であり、この分野の権威だからです。
クラマー教授は検証実験で60歳から75歳の「今まで着座時間が長かった」124人を2つのグループに分け、一方には有酸素運動(ウォーキング)を、他方には無酸素運動(ストレッチや筋トレ)をしてもらいました。すると、有酸素運動グループには計画、スケジュール管理、ワーキングメモリなどの「実行制御プロセス」の向上が見られたのに対し、無酸素運動グループには見られませんでした¹⁷。
軽い有酸素運動は認知機能の現状維持に役立つだけではありません。高齢でも認知機能の向上を促すのです。クラマー教授の研究から明らかなように、運動量を少し増やすだけで、年齢に関係なく記憶力が最大20%もアップします\*。
ひとえに運動と言っても、ランニング、ウォーキング、水泳、ヨガ、ズンバ、ボクシング、HIIT(高強度インターバルトレーニング)、クロスフィットなどなど、種類は様々。脳の働きを促すベストな運動はどう選べばよいか、悩みどころです。
しかし答えはいたってシンプル。自分が好きなもの、自然に思い浮かぶものを選べばいいのです。楽しんでやれる運動なら、毎日続けられます。「やりたい運動をやればいい」と、クラマー博士も言います。
例えばランニングは、脳に物理的に良い効果を及ぼし、認知能力にプラスに働いて思考力を向上させることが、動物と人の両方で実証されています。ラットを毎日ランニングするのと似たような状況に置くと、記憶の形成に重要な海馬で新しい脳細胞の形成(「神経発生」)が起こります¹⁸。
同様の実験を人間に対して行うのは、かつてはほぼ不可能でした。ランニング直後の人の脳を解剖して細胞の構造を分析することはできないからです。しかし近年は新しい画像技術のおかげで、ランニング中やその直後の人の脳の変化を観察できるようになりました(ランニング中は常に頭が動いているため、以前は測定が困難でした。そのため有酸素運動の認知的効果に関する研究の大半では、頭の動きが安定したサイクリストが実験に参加していました)。2021年にネイチャー誌に掲載にされた論文も画期的です。研究者たちが近赤外線分光スキャンを用いて検証したところ、わずか10分間のランニングで前頭皮質に大量の血液が流れ込み、標準的な認知テストで測定できる「実行機能」の改善が確認されたのです¹⁹。
ランニングが苦手な人や、トレーニングに変化をつけたい人におすすめなのが、チームスポーツです。人は社会的な動物ですし、他の人と息を合わせる運動(例えばバスケットボール、バレエ、テニスなど)は、個人スポーツよりも頭を使います。
レイティ博士によれば、このような理由から多くの神経科学者は前頭皮質に効く究極のエクササイズとしてダンス(特にエネルギー消費量が多いダンス)を推奨しています。
レイティ博士は「音楽に合わせて体を動かし、周りの人にも注意を払うことは、脳にとって大変な仕事」と言います。音楽で気分が盛り上がり、エンドルフィン、オキシトシン、ドーパミンが放出されるのも、神経学的に見たダンスのもう一つの効果です。「武道もそうですが、ダンスも正しいフォームを身につける必要があります。いろいろなことに気を配らなければならず、動作もとても複雑。これは脳にとって良いこと以外の何物でもありません」
これには、米アルバートアインシュタイン医科大学のジョー・ヴァーギーズ教授(神経医学)も同意します。2003年、ダンスが脳にもたらす驚くべき効果を示した画期的な論文を医学専門誌『New England Journal of Medicine』で発表して以来、ヴァーギーズ教授は20年に渡ってダンスの認知的効果について研究してきました²⁰。「これまでに調べた11種の運動の中で、唯一ダンスだけが認知症のリスクを下げることが分かっています」
これほど脳を使う運動は他にあまりありません。そのため、ダンスは脳に特に効くと言えます。レイティ博士は、「脳の働きを促す一番良い方法は、脳に多様な課題を与えること」と話します。
体を動かすことの効果は生化学や生体力学の観点から説明できることが分かったわけですが、この効果をもっと簡単に得られないものでしょうか。例えば、HIITのような短時間の激しい運動で同じ効果を得ることも可能でしょうか?
ブレイガー博士は、そもそもそんな必要はないと話し、非運動性熱産生(NEAT)について説明します。NEATとは日常生活の動作で消費する熱量のこと。例えばガーデニングや、階段の昇り降り、子供を追いかけたり、職場まで歩いたりといった日常的な動作でも、1時間バーベルを使って筋トレするのと同じ効果が得られるとされます。「こうした日常的な動作すべてがNEATの量を増やすことにつながります。だからジムに通わなくてもいいんですよ」
では、夢物語かもしれませんが、運動の効果を「飲み薬」にすることもできるでしょうか?
「気持ちは分からなくもないですが、運動の効果をすべて再現する薬は決して実現しないでしょう」とブレイガー博士。ただ歩くだけでも私たちの細胞にはわずかでも、大きな影響が及ぶと博士は言います。例えばグリア細胞。これは、寝ている間に細胞ゴミを掃除してくれる細胞ですが、少しの運動でこの細胞の働きが向上します。また、ダンスのレッスンは脳白質の活性化に優れています。脳白質は、スピーディーな神経伝達を司ることから、心の高速道路と言われることがあります²¹。
「運動は、特殊な細胞小器官から分泌されるエクソソームという神経栄養因子の放出も促します。このエクソソームは骨格筋から血漿、脳へと影響を及ぼすのですが、こうした作用を錠剤で再現するのは不可能です」(ブレイガー博士)
運動の効果を巡るヒッツマン氏の発言は見事に的を得ています。
鬱病が偉大な芸術作品を生み出すという説もありますが、それは鬱病を過大評価したもので、神話と言えます。ひどい鬱に陥ると、集中力がなくなり、考えがまとまらず、何かをやる気力も自信も失うため、不安感がさらに強まります。体に再起動をかけない限り、脳も再起動しないのです。もしかすると鬱病は、体が何かが不足していることを脳に訴えるための合図なのかもしれません。
言い換えれば、エンドルフィン・ラッシュなど運動で得られる快感は、運動がもたらす副次的な効果というよりも、認知能力の向上に欠かせない要素と言えます。運動は、単に今この瞬間の認知能力を高めるために必要なのではありません。体を動かすことは、思考を進化させるうえで重要なカギの1つなのです。